2005.08.17 Wednesday
うちの子記念日
ななが、うちの子になったのは6年前の8月17日。 我が家の年中行事「ディズニー・ワールドオンアイス」に行った帰りに 出会ったのだ。 首にビニール袋を巻きつけられ、公園のベンチの下に しょぼんと座っていたなな。 道行く人々が 「かわいそうにねえ」 「だれか、飼ってあげればいいのに」 などと、口々に言う中 kykyが、しゃがみこんでしまった。 「だめ」と言う私に、哀願するkyky。 kykyは、喘息だ。 猫は無理だ。 それに実家に預けたままの、犬のみいちゃんもいる。 ふと、脳裏に苦い経験が浮かんだ。 当時、私は<猫=一番身近な野生動物> と思っていた。 野良猫にはバイ菌や病原菌がうようよ付いていて 家の中に入れるなんてありえない!と思っていたのだ。 ある日・・・洗濯物を干していると、子猫の鳴き声がする。 別に、猫が嫌いなわけじゃない(きつねやたぬきと同じ感覚) 声のする方を覗くと、まだ小さな猫が生まれたての子猫をかかえて なにやら訴えていた。 「どうしたの?」と聞くと、子猫を置いて 自分は少し離れる・・・ 「子猫と子猫?」 様子を見ていると、親子のよう。 でも、お乳がでないらしい。 うちの子が薬を飲む時に使うスポイトで 人間用の粉ミルクを薄めて飲ませてみた。 ごくごくと飲む。 白湯も飲ませてみた。これも飲む。 飲み終わると、母親が咥えてどこかに行く。 また現れては、私を呼ぶ。 そんな事を日に数回繰り返す日々が続いた。 母親は、決して私には近づかない。 必ず2mは離れたまま。餌をやっても食べには来ない。 ある日、姿をみせなかった。 翌日、我が家では夏の恒例行事「ワールドオンアイス」 に出掛ける日。 気にはなったが、出掛けてしまった。 翌日の夜、母親が咥えて来たのは、既に息のない子猫だった。 いつも、母猫が私を呼んでいた木の下に タオルで包み、箱に入れて埋めると 一週間毎日、母親は夜をそこで明かした。 母猫はまだ自分も子猫。早熟で発情して子猫を生んでしまったらしい。 おそらく複数匹生んだものの、死産かなにかで一匹しか残らなかった上に、お乳も出なかったらしいのだ。 本来、真夏に出産するなんて、あまりないことだそうだ。 そのヤンママ猫はきっかり1週間で姿を消した。 餌付けもうまく行かなかった。 彼女も、どう見てもまだまだ子猫だった。 今の私なら、何とか出来たかも知れない。 でも、あの時の私には<猫を家に入れる>なんて 思いつかなかったのだ。 それでも、やりきれなくて泣き明かした。 自責の念にもかられた。 今でも、あの時の親子のことを思い出すたびに 自責の念にかられる。 奇しくも、同じイベントだ。 もう、同じ轍を踏むわけにはいかなかった。 子猫のビニールをほどき、抱き上げてみたが この子をどうやって連れ帰ろう? 満員電車に乗らなくてはならない。 一旦はkykyをなだめて、帰宅してから 車で折り返した。 「どうか、そこにいて」と祈りながら。 ちゃんと、子猫はそこにいた。 助手席に乗せると、いっちょまえに座っている。 持参した水をがぶがぶ飲み、パンをたいらげ シートから降りて、排便まで済ました。 大物だ。 家に着くと、すぐに入浴させ缶詰をやってみる。 低いうなり声を出しながら完食。 その後36時間、大いびきで大の字のまま眠り続けた。 犬しか飼った事のない私は、子猫の生殖器を見て 女の子と判断した。 かくして、命名なな。 「ねこは、足音がしないでしょう?だから嫌なのよね」 私は、そう思っていた。 猫好きの叔母の家で、いつも突如として現れる猫達に ビビって居たのだ(笑) そんな私の気持ちを察したのか・・・ ななは、足音を立てる猫であった。 「だから、ずっとここに置いてね。」といわれている気がした。 癲癇の発作を起こした時は、拾った事を後悔した。 私が、完全室内飼育なんてしたせいじゃないか? あのまま、公園に居たら病気なんてしなかったのじゃないか? 私がストレスを与えたから・・・ 今でも、時々胸が痛む。 ななは、うちの子で幸せなの? 大きなお庭のあるお家に里子にだしてあげたらよかった? でも、私はななが居てくれて、とても幸せだ。 ありがとう。なな。 この子と出会ってなければ、りんがうちの子になる事も きっとなかったと思う。 野良猫の里親探しなんてこともしなかっただろう。 ななのお陰で、こうしてネットを通じてお友達もできた。 本当に、世界が広がった。 なな、ありがとう。 みなさん、ありがとう。 |