コメント
おはようございます。
あれから12年たったのですね。
もう12年なのかまだ12年なのか。
実際家族を亡くされた方にとっては、12年間時間はとまったままなのかもしれません。
kukkaさんご一家は震源地のすぐ近くで、被災されたのですね。
ご家族が無事で、おうちが無事で、本当によかった。
避難することは、逃げることではないと思います。
そんなふうに思って、思い悩んだ人はとても多いです。
私だけが、避難して。
そうじゃないと思います。
思い悩んじゃダメです。
| sinocco | 2007/01/18 11:12 AM |
震災で神戸におったら大変やったんやろね?川一つ挟んで大阪は全く被害がなかったもんやからテレビも信じ難くてね。息子の学校にも被災して転校して来はった子がおったんやった。
避難して英気を養ったらよろしいねん。大手を振って避難して大きな顔でおったらよろしい!相手は自然災害やねんから誰も歯が立たないんとちゃうやろか?ダンナさんは偉いやないの?救助と言ってもなかなか素人に出来るもんちゃうやん?エライ!!
| キミドリ | 2007/01/18 3:04 PM |
あの日から12年ですか。。。
アメリカでもニュースに映し出されていました。
明石に住んでいたはずの友人の消息は今でも分かりません。。。。どこかで無事に暮らしてくれてればいいけど。。
ご主人様は立派ですね。誰でもが出来ることではありませんよ。
実家に身を寄せられたことは、全く非難されることではないですよ。その時は幼いKykyさんと一緒で、それがベストだったのではないでしょうか。
| hitomineko | 2007/01/18 4:59 PM |
☆sinoccoさん☆
あの震災を思い出すたびに、生かされていることに
感謝をしますが、普段はけろっと感謝を忘れてしまいます。
ほんとに小さなことが、明暗を分けましたから・・・
ありがとうございます。
非難した被災者は、みんなどこかに罪悪感を
持っているのかもしれませんね・・・
嬉しい、コメントありがとうございます。
★キミドリさん★
ありがとうございます。
当時は、二次災害が不安で出かける救助に出かける
主人をどれほど心配したか・・・
現場では、助け出せない方も多くあったとか・・・
助かりそうな人から助ける、が鉄則で
瓦礫の下でなくなった方を後回しにした時は
奥様に「鬼!」と叫ばれとか・・・
息子さんの学校にも避難した方があったのですね・・・
震災後、また神戸に戻れたわたしは
幸せなのだと思います。
☆hitominekoさん☆
ありがとうございます。
kykyも「縦揺れ」は、今でも身体が覚えているそうです。
遠くから走ってくる大型ダンプカーのような余震のせいで
いまだに、大通りでダンプカーが来ると
親子で身をすくめます・・・。
明石のお友達、ご心配ですね。
でも、明石は神戸より被害が少なかったので
きっとご無事でお元気に暮らしていらっしゃると
思います。
いつか、お会いできることお祈りしています。
| kukka | 2007/01/19 10:56 AM |
お久し振りです。
年末倒れた伯父の見舞いに水曜に行ってきました。
リハビリで『ご自分の名前を書いてください。』と言われた伯父。
鉛筆を持たされて書いたのが117と地震の起きた時間でした。
初めは何の事かわからなかったけど伯父が一言『忘れちゃいけないんだ。』と。
実際 経験した人は言葉にはできないくらいの傷が残ったでしょう。
私には想像もつきません。
人も動物も一瞬にして生活が壊されたんですよね。
知り合いの御実家のわんこもそれがきっかけで脱毛症に。
かなりの過敏症になったと聞きました。
こちらもいつ大地震がきてもおかしくない状態と言われて数年。
恐ろしいです。
| おかる | 2007/01/20 5:01 AM |
☆おかるさん☆
伯父様も、お父様も大変でしたね。
「おかるさん、偉いなぁ・・・」って思いながら
いつも読み逃げしていて・・・ごめんなさい。
伯父様に感謝しなきゃ・・・阪神間住民代表として。
あの恐怖は、いまだに消えませんが
幸い、わたしは失ったものがないので「生かされている」ことを
感謝しなくてはいけないし、犠牲になった方へは
常に思いを馳せなくてはいけないんじゃないかな・・・と。
姑だって、震災がなければ兄夫婦と同居せずに済んだと
思うと、気の毒で・・・。
かと言って、わが家に呼び寄せる甲斐性もないのが悲しいです・・・
| kukka | 2007/01/20 5:29 PM |
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