2006.12.16 Saturday
プーのこと
kykyのお誕生日に、お祝いの言葉をありがとうございました。
そのkykyの生まれた日から遡る事365日。 わたしの愛犬プーが交通事故で虹の橋に渡りました。 プーは、母の知人から譲り受けたポメラニアンでした。 当時、わたしの家はゴタゴタがあり母は年中、実家に帰り プーはわたしが育てたようなものでした。 犬の本能を考えたら当たり前のことですが いつも2人きりだったわたしたちの中で プーは、わたしをリーダーと決め1人と1匹の「群れ」が 出来上がったのでした。 父も母も、彼にとっては他人です。 なので、わたしに対しての絶対服従の態度を 彼らに見せることはありませんでした。 そのせいか、彼らは随分とプーに辛くあたりました。 もっとも、彼らにとっては「躾=暴力」だったので 本当にいまだったら、動物&児童虐待で夫婦で逮捕されていたでしょう(爆 わたしとプーはいつも行動を共にしていました。 なんでも分け合い、いつも一緒。 「動物と同じお皿からものを食べるなんて!」と 母はいつも怒っていましたが(笑 その日、わたしは体調がすぐれず起き上がれませんでした。 なので、母がプーの散歩に行きました。 母は、片手のゴミをもっていたからという理由で プーのロープを持たずに・・・ 洗面所で聞こえた、急ブレーキと衝突音。 母の悲鳴・・・ パジャマのまま飛び出すと、プーが倒れていたのでした。 そのまま、向かいのお兄さんの車で近所の獣医さんへ。 あとのことはよく覚えていません。 蘇生しなかったプーを抱いて泣いていた記憶、 わたしの方が呼吸困難になりかけ、獣医さんを慌てさせた記憶。 そして、帰宅したとき、パジャマで裸足の自分に気付きました。 母の「みっともない」という言葉で・・・ 白いパジャマにはプーの血がついていました。 それが12月15日でした。 その頃、わたしはkykyチチと出逢い、結婚しようと決めていました。 わたしの家では大反対! なので、2人で恋の逃避行をするつもりでした。 「こんな家にプーを置いていけない。」 「でも、連れて行ってプーは幸せなのかな・・・」 などと、考え悩んでいた時期でした。 天罰だと思いました。 わたしたちは「群れ」でわたしは「リーダー」だったのに・・・ 母は「あんたのせいよ!」とわたしを攻め立てました。 「あんたが散歩に行けばよかったのよ」 プーは横断歩道を渡ろうとして、配達の為に猛スピードで 走ってきた近所の米店の車に轢かれたのでした。 たとえ、横断歩道の上でも犬だけで渡ったのだから 犬が悪い・・・と。 わたしの中で、実家に住む理由がなくなった瞬間でした。 わたしが小さかった頃、祖父母の家のピコとい犬が亡くなった時 祖母は 「kukkaが、ベビースターラーメンを食べさせたせいだ」と 母に説明していました(ピコは元々、母の犬でした) わたしは、そんなことしていないのに・・・ 祖母と母、どちらも自分の罪を罪として受け止められず 人のせいにしてしまうタイプなのだと思いました。 母は姑である、父方の祖母のことを 「自己中心的で、わがままで、なんでも人のせいにする」と 悪口を言っていましたが、 それは、自分自身のことだったんですね・・・・きっと。 プー。 あなたがいってしまって、ちょうど365日目に kykyがやって来ました。 本当は、15日に生まれる予定でしたが1日早く生まれたのです。 多感な時期に、あなたと「群れ」を作れて あなたと家族で、よかった。 わたしが両親に厳しく怒られるたびに 両親に果敢に挑み、歯を剥き噛み付いてくれたあなた。 kykyチチと出会うまで、わたしのたった一人の味方だったあなた。 そちらはどうですか? 新しい群れはできましたか?家族はできましたか? 虹の橋は快適でしょう。 あなたの好物の、ブロッコリーと梨とからすみ、 供えますね。 あ・・・からすみは無理ですが・・・・m(__)m =ゴロンちゃんを探しています= 鎌倉市津西一丁目で行方不明になりました。 ああ・・・年内には帰ってきてね。 ゴロンちゃんのために作った枕は黄色。 黄色はプーの大好きな色でした。 犬が色盲なんて嘘ですよ(笑 あ・・・だからでしょうか・・・ kykyが生まれる時、黄色いものばかりを揃えたわたし(笑 ゴロンちゃん、あったか〜いお家にもどっておいで・・・ 見かけた方はにくきうさんまで、お願いします。 ちなみに・・・プーの本名はボビーです。 でも「くまのプーさん」に似ていたのでプーなのでした・・・ |